山流しの地のリーマン日記

山流しの地でリーマンやって、はや10年。この10年で起きたことの回想と、今起きていることを綴っていきます。仕事に限らず、日常に考えたことなんかも。この地は治外法権ですよ。告発、賠償請求したくても、証拠不十分なこともあります。

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2社目 パチンコ屋

まだまだ、不況の折、とりあえずPC屋の給与じゃ何もできない。かといってこの地域の賃金水準は東京と比べるとべらぼうに低く、都市部では、ほとんど当たり前の完全週休2日も、このあたりの地元企業では、年間休日104日とか105日で、辛うじて労働基準法にふれないようにしているレベルの会社がほとんど。なかにはありもしない休憩時間を作って、名目上週40時間労働にして年間休日80日とか当たり前のように存在します。それで給与は…と。そうなってくると、もう4週8休ならまだましと どこも変わらないと。休みが少ないイメージの接客業も、この地じゃあんまり関係なしよと。だったら ゼニで選びましょうで、パチンコを10年近く打っていない、スロットにいたっては、やったことすらないのに、パチンコ屋で働くことに。

昔は懲役太郎や、借金に追われている人なんかが働くイメージでしたが、もう私が働きだした頃には、そんなイメージは大分薄れていました。いる人達は普通の人達でした。それはお堅い会社とは違って、タトゥーが入ってたりなんてことは、従業員でも当たり前でしたが。2ヶ月のバイト期間を経て、初任給は手取り月給で27万円。交代勤務ですので、シフトが発表されないと月の予定がたたなかったり、どういうわけか20代なのに介護保険が間違えてひかれたりといったことはありましたが、そこそこに楽しかったですよ。最初に配属された店は、店長が己の権威付けに必死だったり、社長夫人が就業規則を”あれは形式的なものだから”と平然と言っていたりとかあったけど、社保不完備の店があったり、週休1日なんてところも当たり前のようにある業界です。まぁ、上等な部類でしょう。不満はいるあいだは我慢でした。この会社のパチンコ店は店長の裁量が全てでしたね。店によっては、前持っていっておけば、有給も比較的とれるところもあったみたいです。あまい店長の店に配属されると店は暇なのに”スロットの目押しの練習をしたい。”と居残ってそれが残業計算されて、18歳で月給40万!!なんて話もきいたことがあります。私の最初に配属された店は、有給なんて盲腸にでもなって、入院でもしない限りもってのほか、新台入替自体については残業つきましたが、新台のスロットのストックをためたりといったことはサービス残業でした。この最初の店は、皆店長の顔色と機嫌にびくついていましたね。とはいへ、給与が給与ですし事務畑の人間からすればきついかもしれないけど、割り切り型の私にはなんの問題もありませんでした。むしろ人間関係がべたついてなく、、かわいいおねぇちゃんと仲良くなれたり、居心地良かったですよ。この最初の店を1年ほど配属されていた後、時代はパチンコ店の大型化に向かっており、この会社でも5,600台規模の店を出店することになりました。この会社のいろんな店から、新店に精鋭部隊が選ばれ配属になっていく。私も選ばれました。ただ私は仕事ができたからではなく、店長が精鋭として選んだ人間が皆ことごとく辞退… ごもっともな理由をつけたって、平日は7,8人の従業員で多くても20人の客を見ていればいい。下手すれば従業員の数のほうが客より多くなってしまう店から、ひとりで40台から60台のシマをみないといけない店だったら、給与同じなんだから、既存店にいたいでしょうよ。私はこの店長から”捨て駒”と評価されていたのです。とある部長と話をしていたのをきいたことがあります。私は案内アナウンスはしましたが、アオリをあまりやりたがりませんでしたし、やはり体力勝負の仕事ですから、新台入替のときなんかは、どうしてもへろってましたから。あとこの店長とは高校が同窓生だったんですが、この店長が居た頃はどちらかというとぱっとしない、ともすれば不良学校。私の頃は、浪人するにしても大学進学率がほぼ全員という、県内でも指折りの難関校でした。大学も…ということで面白くなかったのでしょう。私は遊びも派手でしたので。こういう会社なので、私は法の牙をこの会社にちらつかせたことなんて、その当時は全くありませんでした。ただどういうわけかこの店長に突然、”私の権威を傷つけないように。”といわれたことがあります。それにこの店長と仲の悪い別の部長から、私は比較的に評価されていました。察するに、仕事のでき云々とかではなく、この業界というかこの会社では珍しい、落ち着きとか真面目さを見て下さっていたのでしょう。穿った味方をすれば、この店長から、新店にとばせばこいつは潰れると見られたのかもしれません。あくまで穿った見方ですよ。変なところでやさしさのある店長でしたから。真意は今となってはわかりません。

新店の配属には、正直びびりましたよ。店舗間での交流なんてありませんでしたから、人間関係だって不安でした。ただ統括店長と副店長が良い方でしたね。統括店長は、とある国家資格の科目合格者、副店長は体育会系の方で私とはまるっきり正反対のタイプでしたが、なにより和を大事にする方でした。新店の準備の頃は本当にぼろかったですね。ほとんど1日店内のポップ作ったりなんだりのらくちん仕事で残業が重なって、その月の給与は額面40万とかになりましたw ただグランドオープンと同時に、人間関係、業務面での不安は的中しました。それまでいた小規模店舗ではなんとかごまかせていた、体力面、運動能力面の低さがもろにでてきます。ほぼフル稼働のパチンコのシマを、ひとりで40~60台みるわけです。当初は20台も見れませんでした。“俺が一番”的な若い他店出身者から、よく怒鳴られましたよ。この”俺が一番”な男が本当に私は苦手でしたね。ただホールスタッフとしては明らかに相手が上ですから、私は何もいいませんでしたが。私がその男から何か言われている最中だったですかね。その男と同店舗出身の、カウンターの女の子が”○○(私のこと)滅茶苦茶、頭いいんだよ”的なフォローを入れてくれたんです。頭がいいかはちょいと疑問ですが、経歴だけ見れば… 私は自分の出身校や経歴についてなんて話をしたことはないんですが、統括店長や副店長あたりの話でも、その女の子は聴いたんですかね。それでこの男の態度が変わります。ホールスタッフ外の、私の顔を感じたのかも知れません。当時20歳くらいで、高校中退ででかい刺青背負っていた男でしたが、普段の仕事では見えない、私の長けた部分を認めたのでしょう。スロットの目押しがへたくそな私のインカムでの目押し依頼にも、笑ってとんできてくれる。抱えている借金の相談なんかもされたんで、私は利息制限法についていろいろと教えて、最悪の場合になった際の対処策を教えたりしていました。その男は、その“俺が一番”的な性格が災いして、統括店長から“お前はいくら仕事ができても上には立たせられん。”的なことをいわれたらしく、私が辞めるより先に辞めていきました。辞めることが決まった後にも”○○さん、(私のこと)俺がこの会社で身につけた、上から認められる方法教えておくよ。”と閉店作業のときにいろいろと教えてくれましたよ。その頃は私ももう30歳間近、この会社に入った頃は、1日9時間拘束の7時間労働、休憩2時間で名目上、週35時間労働だったのが、大規模店ではそれでは店がまわらず、全ての店が4週6休になってました。2週間で77時間労働だから、週40時間内ですよということです。業務には大分慣れていたとはいへ、既存店とは労働強度が全く違い、新台入替作業の時はばてまくり。蓄積疲労で慢性的な頭痛がでだしていました。とある部長は私を上に上げたがっているようでしたが、私を好意的に見てくれていた統括店長も、私の体力面なんかを見抜いたんでしょうね。現状では…ということに判断されたようでした。私としても、ホールスタッフとしては決して優秀ではありませんでしたから、下手に役職なんかつけられたら困ってしまいます。私より若くて体力があって動けて、知識がある人間が他にいっぱいいるんですから。実際、私はこの若い子達に生かされているということを痛感していましたよ。時にお客さんからも生かされていました。決して優秀なホールスタッフではありませんでした。パチンコのシマを担当していて、玉が放置されている台があるのを気付かずにいたことがありました。お客さんからクレームがきましたよ。クレームをつけるお客さんだって気分のいいもんじゃない。私はそのお客さんにその台を処理したあと、”お客様、先ほどは教えて下さり有難うございました。”と丁重にお礼を申し上げました。それ以来ですね。そのお客さんが常連さんだったらしく、同じ常連さんの中で話になったみたいです。実際私もそのお客さんが”あの兄ちゃん、なんていったと思う”とこちらを見ながら話をしているのを聞いています。常連のお客さんから本当によくしてもらっていたんですよ。重たい山積みのドル箱の交換の際にも”お兄ちゃん、俺こっち持つからそっち持ってきてや。”とお客さんが率先して重たいほう持ってくれたり。休憩時間中に常連のおばちゃんと会うと本当はいかんのだけど、ジュース買ってくれたりしてましたね。

やはり辞める際には、この仕事の嫌な面もいっぱい見えていました。“この仕事、金はいいけど世の中になんの付加価値も生んでないや”とか。この会社がどうかは別として、業界自体は40歳定年制といわれる業界です。内心ではお客さんに対して“お前らくるんじゃねぇよ。お前ら来ても来なくても俺の給与変わらねぇよ。”と思うようになっていました。私がいた会社ではありませんでしたが、スロットで負けてトイレで自殺とか、放火とかありましたしね。経営者一族は肥え太るでしょうが、いくら混雑したって私らの年収は変わらないですし。あげくその金を、半島に送金されたりしてたらと思うとやっていられなくなりました。実際、私が居た頃も某パチンコ店が脱税でぱくられているわけですが、その理由が、半島の親戚に送金する金を作るためでした。いろんな意味で貴重な経験でしたよ。この会社の経営者一族の身内と実は私は、どういうわけか仕事を通じて仲良くなっていました。話をしていると、親戚と“日本の天皇制について認めるか?”という話を徹夜でしていたというんですよ。内心”戦後、金を求めて日本に移住してきた輩が日本の国体に口をはさむなんざ、くそあつかましいにもほどがある。”と思いました。私は理詰めなんで、時に左よりの人間と勘違いされますが、世間でいうところの、どちらかというと右の部類の人間だと思っています。戦後、日本人がないがしろにしてきた国家観をそれなりに持っていますし、偏向報道、教育には反吐がでる思いです。ここで、平和ボケした日本人の良識について、どうのこうの書く気はありませんでしたが、万人と分かり合えるなんてのは嘘です。博○堂、電○あたりが作るムーヴメントに騙されるなよ。と強く思います。ついでに言うと自国民よりこの手の外国人が税制面などで優遇されていることに日本人はなぜ怒らないのかと… ということで、辞める際にやはり牙をむけました。統括店長に、”店長に別に恨みがあるわけでもなんでもありません。”と前置きした上で、“義務を果たしてきたから権利が残っているわけですよね。有給を消化させないのなら法的措置をとります。”と。ある国家資格の科目合格者のこの店長もわかっていたんでしょうね。ご本人も勤続年数ごとに取れるはずの休暇がとれず、子供にサービスができんと嘆いていたのを聞いたことがあります。私は労監いけば休めることも分かっていましたが、店長の顔をたててフル行使はしませんでした。次の仕事が紹介予定派遣で決まっていて、“くれぐれも円満退社で”と言われていたこともあり、あまり無茶はできなかったというのもありますし、当時真剣に結婚を考えていた女がいたので、そっちを優先させたかった。だけど私を支えてくれた若い子達も95%はいずれ辞めるんです。だからその連中に、私の得意な分野で方法というか道しるべを残してやりたかったというのもあります。

今はこの地域ではパチンコ屋自体、求人少ないです。おそらく下手をしたらパチンコ台対人口比でみたら、ひょっとしたら日本一のパチンコ台の数なんじゃないかというくらいパチンコ店はありますが。それでも淘汰の時代ですね。全国規模のパチンコ店に圧されて、ある程度の規模で純粋な県内資本の会社というと2社、財務体質面まで考えると、私がいたこの会社が唯一生き残れる会社なのかもしれません。ちなみにこの会社、法人の所得番付には顔をだしたのは見たことがありません。かつてあったある程度の規模の会社は、法人所得番付に顔を出していたのですが、皆、淘汰されました。あくまで推測ですが、政治献金をすればその分は非課税ですね。それを法人として、うまくやっているのではないでしょうか。この会社の閉鎖された店が、とある政治家の選挙事務所になっていたり、私が居た頃も頻繁にその政党の署名やら名前集めで色々とまわってきました。私はそういうのは全部スルーしていましたが。なにか大きな利権構造というか癒着構造を感じてしまうのは、私の考えすぎですかね。

この産業は国益を害していると思います。是非日本から消え失せて欲しいと思います。

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